浦原 | ナノ
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▼ 藍染編1

101年前、とても好きな人がいた。その人も、垂れ目がちの優しくてちょっと情けない顔を綻ばせて、わたしのことを好きだと言ってくれた。でも、その人は大罪を犯して現世に追放されてしまった。わたしには、何も言わずに。きっと、わたしのことを好きだと言ったのは嘘だったのだ。簡単に騙されて、馬鹿な女だと笑っていたのだろう。そもそも彼の傍にはいつも美しくて強い、二番隊の隊長がいたのだ。わたしのような平凡な女に、彼が振り向くわけがなかった。そうして時間が流れ、彼の名前を聞くことはなくなった。わたしも、新しい隊長のもと、新しい環境にすっかり馴染んでいる。もう、あの人を思い出すことも滅多にない。ただ胸に、鈍い傷跡を残したまま。

「……涅隊長、ご無事ですか?」

「くだらないことを聞く前にとっと動きたまえヨこのノロマ!」

101年前、隊長副隊長ともにいなくなってしまった我が十二番隊の隊長、そして技術開発局の局長は、あの人が引き抜いてきた涅マユリ三席が引き継いだ。わたしは変わらず、十二番隊第八席に101年居座り続け、技術開発局と兼任している人が多い中で十二番隊の業務を滞りなく回すための役割をこなしている。涅隊長もあまり褒められた人格をしていないものの、もともと研究者気質ということもあり、雑事を処理するわたしをそれなりに評価してくれていた。それなりに。旅禍に敗北したらしい涅隊長は液体化した肉体のせいでいつにも増して機嫌が悪いようで、涅ネム副隊長に酷い八つ当たりをしていた。ふたりが隊舎に戻って来た際に遭遇してしまったので一応社交辞令として声をかけたものの、怒鳴られてしまう。人格も倫理観も破綻しているしマッドサイエンティストと呼ぶにふさわしい人であるので嫌煙する死神は多いものの、さすがに101年もあれば慣れるもので、わたしも、はい、すみません。と流れで謝罪して自分の持ち場に戻ろうと踵を返した。待ちたまえ、と液体の涅隊長に声をかけられるまでは。

「オマエは馬鹿だが頭は悪くない」

気づいているのだろう、と問いかける涅隊長に、視線を戻す。液体のくせに偉そうに、探るようにわたしを見ていた。

「………どちらにせよ、わたしにはもう関係のない話です」

なぜ、旅禍がこんなにも容易く瀞霊廷に侵入できたのか。現世から来た、という彼らに、あの人を連想するのは当然のことだろう。ふん、と鼻を鳴らした涅隊長は瀞霊廷を騒がす旅禍にも、不可解な朽木ルキアの処刑にも、藍染隊長が死んだことにももう興味がないようで、技術開発局で肉体の修復に勤しむそうだ。わたしにも余計なことをしないように言いつけていかれたので、さっきのノロマ発言はどこにいったのかと思いながらも隊舎でここ最近の騒動のせいで溜まりに溜まった書類仕事に手をつけることにした。天挺空羅で四番隊の虎徹副隊長が藍染隊長の裏切りを告げるも、肉体を復元した涅隊長が動く様子がないのでそれに倣って隊舎からは出なかった。そもそも、旅禍が集まっているだろうそこに、わたしは行きたくなかったのだ。もう過去の人で、わたしを捨てた人。せっかく思い出さずにいられるようになったのだから、少しでもあの人の気配がする場所には近づきたくない。全ての騒動が片付いて、瀞霊廷が旅禍を受け入れた後も、わたしは隊舎にこもって仕事をしていた。他隊に行かねばならないような仕事に関しては別の人間に頼み、接触をしないことを徹底した。十二番隊は変人の巣窟と呼ばれているから、誰も近づいてこようとしない。それが何よりも都合がよかったのだ。

「久しいのぅ、なまえ」

そう、この人が来るまでは。気づけばすぐそばに、101年前によくあの人の近くで見かけた女性が立っていた。勝手知ったるといった様子で窓から入って来た彼女に目を見開いた。きっと彼女は、今もあの人と一緒にいるのだろう。彼女はあの人の恩人で、親友なのだから。

「おひさしぶりです。四楓院隊長」

「儂はもう隊長ではない。気軽に名前で呼ぶとよいぞ」

「………そういうわけには」

四楓院家の元当主で、二番隊と隠密機動を束ねていた女性。四楓院夜一。わざわざこんなところまで、一体なんの用件があるというのだろうか。昔はもう少し柔軟だった気がしたんじゃがのぅ、と何を考えているか読めない笑みを見せた彼女は、当然のようにお茶を催促してくる。101年前は、突然やってくるこの人に苦笑しながらお茶を入れるのがわたしの役目だった。熱いお茶が飲みたいと言いながら、実際は猫舌で少し冷ましてからでないと飲めない四楓院隊長のために、試行錯誤して彼女のための適温のお茶の入れ方を探したものだ。もうすっかり忘れたと思っていたのに、忘れられたと思っていたのに、100年も前のことを身体がまだ覚えていた。仏頂面で差し出したお茶を、やはりなまえの淹れた茶はうまい、と満足そうにカラカラと笑う。わたしの心臓は、嫌な音を立てるばかりだ。彼女を直視することができなくて、自分の爪先をじっと見つめる。

「あれから、元気でやっておったか?」

「……えぇ、まあ。それなりに」

「101年もたてば否が応にも人は変わる者じゃが、おぬしはつまらん顔をするようになったのぅ」

「大人になったんです」

恋に恋する女の子では、もういられなかった。あの頃のわたしには、あの人が自分のすべてで、生涯で一度だと思っていた恋だった。でも、ちがったの。あの人にとってのわたしは、全然特別なんかじゃなかった。それを受け入れたら、あの人のそばではきらきら輝いていた世界の色が、なくなった。

「……喜助に、会いたいか?」

「いいえ」

あの人の名前を呼ぶ彼女に、半ば遮るように食い気味に、無感情に否定する。繰り返し、いいえ、と首を横に振った。続けてもうわたしは関係ありません、涅隊長に言った言葉と同じものを吐き出すと、四楓院隊長は黙ってお茶を啜った。開け放たれた窓から、砕蜂隊長が四楓院隊長を呼ぶ声が遠くに聞こえる。窓を見つめると、お茶を飲み終わったらしい四楓院隊長が腰を上げて、また窓から外に出ようと足をかけた。

「あやつが此方に置いてきた宝物の様子を見て帰ろうという老婆心をだしたのは儂じゃが、その様子ではあの時の喜助の判断は間違ってなかったようじゃな」

言いたいことだけ言い残して、隊室を出ていった四楓院隊長の背中を見送る。宝物、ねぇ。どういうつもりで彼女がそう言ったのかはわからないけれど、どんな宝物だって、101年も放置されたらそれはゴミと変わらないじゃないか。


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